「神武天皇」は最初の天皇といわれています。
建国記念の日によく耳にしますが、いったいどんな人で、どうやって天皇になったのでしょうか。
ここでは
・神武東征(子ども向け)
・実在したのか
について簡単に子どもにも楽しめるようにご紹介します。
1神武天皇とは
神武天皇とは
- 最初の天皇
- 天照大神の子孫
- 日本を平定した伝説の人
神武天皇については「古事記」「日本書紀」に書かれていますが、伝説の人。事実の裏付けはありません。
【名前】イワレビコ
(おくりな:神武天皇)
*おくりな:死後につけられた名前
【生年月日】紀元前711年2月13日
【崩御】紀元前585年。127歳で没。
【生家】日向を治めていました
【家族】4人兄弟の末っ子
日向の高千穂は、天孫降臨の地。
天孫とは、天照大神の孫。ニニギノミコトのことです。神武天皇はニニギノミコトのひ孫。
✔天照大神といえば
伊勢神宮の神さまです。つまり、天皇の先祖^^
日本の国土を作った神イザナギ・イザナミのたくさんの子どもたちの一人で、女神。太陽神です。
2神武東征
神武東征とは
初代天皇の大和制圧と即位までを描いた説話
神武東征は、一人の豪族が地方から中央に攻め上がって日本を制圧するサクセスストーリーです。
三本足のからすや大熊、土蜘蛛も出て来ます。
お父さまお母さまの脚色を交えて、子どもたちにわくわくに語って上げて下さい。
東征ルート
ストーリー
1東征の決意
日向高千穂にいた神武天皇は45歳。「全国を制覇し大和を都にしよう」と決意します。
「天照大神の子が高千穂に降り立って179万2千470年余りたったのに、まだ自分たちは西のはずれにいる。全土を制覇して大和を都にしよう。」
2九州制覇
宮崎(高千穂)→ 大分(宇佐)→ 福岡(筑紫)
:1年
3中国制覇
→ 広島(安芸)7年→ 岡山(吉備)
:8年
4大阪から大和へ向かおうとして苦戦
→ 大阪(浪速、白肩津)→ 和歌山(紀国、男之水門)
大阪では、大和を治める豪族の長髄彦(ナガスネヒコ)が神武天皇を迎え討ちました。
ナガスネヒコの軍勢は強く、神武天皇軍は歯が立ちません。
神武天皇は「太陽の神の子孫である自分たちが太陽(東)に向かって戦うのは良くない」と考え方向転換。
紀伊半島の東へ回り込むことにしました。
5熊野から奈良は、苦難の連続
-1)熊野の大熊
熊野では大熊が現れ、軍勢は気を失います。この大熊は熊野の荒ぶる神の化身。神武天皇も気を失いました。
そこへ、熊野のタカクラジという人が天照大神と高木神(タカミムスビ)から届けられた太刀を持って来ました。
神武天皇は目覚め太刀を握ります。すると、荒ぶる神は自然に切り倒されしまい、軍勢も目覚めました。
*「高木神」は、高木の神さま。天地開闢のあと最初に現れた神さまの一人(一柱)で、タカミムスビノカミという名でもあります。
神武天皇の、ひいおじいさん(ニニギノミコト)のおじいさん、にあたります。
-2)八咫烏(やたがらす)の案内で宇陀へ
高木神(高い木の神さま)が送った八咫烏(やたがらす)が、神武天皇勢を大和の宇陀へと道案内してくれました。
*ヤタガラス:三本足のからす。神の使い。日本サッカー協会シンボルマークになっています。
-3)宇陀の兄宇迦斯(エウカシ)のわな
宇陀(奈良県)の豪族エウカシは足を踏み入れると挟まれて圧死する罠を仕掛けます。
↓ちょっと違いますが。
しかし弟が神武天皇に密告。
弟に裏切られたエウカシは、神武天皇に「お前が先に入れ」と迫られ、自らその罠にかかって死んでしまいました。
-4)忍坂の土雲、八十建
忍坂(おさか)では、土雲(つちぐも)という八十建(やそたける)が待ち構えていました。
・・・土雲は、天皇に従わなかった土地の小豪族たち。後には土蜘蛛と書いて蜘蛛の妖怪とみなされるようにもなりました。
・・・八十建は、たくさんの勇士の意味。
神武天皇は、土雲の勇士たちにごちそうを食べさせます。勇士たちが飲み食いしているとき、刀を隠し持った料理人たちが、勇士たちを殺してしまいました。
6大和へ:宿敵ナガスネヒコを下す
いよいよ大和を治める豪族、長髄彦(ナガスネヒコ)と対決。大阪では歯が立たなかった強敵ナガスネヒコですが、やはり苦戦。
そのとき神武天皇の弓の先に、金色のトビ(鳥の’とんび’)が留まりました。
このトビの輝きに、ナガスネヒコの軍は幻惑され、戦闘不能になりました。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト:ナガスネヒコが祭る神さま)は、ナガスネヒコに戦いをやめるように言います。でもナガスネヒコは言うことを聞きません。
そこで、神さまニギハヤヒはナガスネヒコを殺し神武天皇に従うことにしました。
ほかの神さまが神武天皇に恭順したのですから、神武天皇の威光は大きいですね。
6大和制覇、即位へ
神武天皇は、紀元前660年1月1日、橿原宮で即位しました。52歳(日本書紀)。
*この即位の日が、新暦2月11日におきかえられ、現在は「建国記念の日」になっています。
天皇としての在位は、紀元前660年から紀元前585年の75年間。
127歳で死去。
・・・「天皇」という称号を使い始めたのは飛鳥時代、天武天皇の頃から。「天皇」はおくりなで、亡くなってから○○天皇と呼ばれるようになります。
退位すると「上皇」になります。今の令和の天皇は、「徳仁(なるひと)」というお名前で「今上(きんじょう)天皇」と呼ばれます。
・青空文庫「古事記物語」八咫烏
↓こちらは神武天皇より前のお話ですが、面白いです。
3実在したのか
多くの歴史家は実在しないと考えています。
神武天皇が登場する『古事記』や『日本書紀』は、朝廷によって編纂されました。
豪族同士の覇権争いに勝ち残った天皇家が、自らの権威を強めるために創造した人物が神武天皇のようです。
・・・こんな人または一族が実在して、最後に大和を治めたのがその人達。その子孫が今の皇族、ということなのでしょうか。
一応、お墓もあります。
奈良県橿原市の「畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)」が、江戸時代末期に神武天皇の墓と定められました。

Saigen Jiro [CC0], from Wikimedia Commons
弥生時代から、日本の各地には、奴国や邪馬台国のようなたくさんのクニがありました。
各地の豪族は、ナガスネヒコと饒速日命のように、それぞれにアマテラスの子孫であるとして、独自の神を祀っていました。
また、人々は、それぞれの地域の土着的な神さまを信仰していて、飛鳥時代以降も、朝廷からのお達しよりも、呪術的な慣習を優先しがちでした。
日本書紀が編まれたのは、720年。
豪族にも民衆にも「天皇こそがアマテラスの直系でありすべての神の上に立つもの、自然を支配するものである」という権威付け、正当化をするため。
天皇を頂点とする律令制を強化するためだったと考えられています。
終わりに
天皇が関わるのでテレビドラマ化はできないと思いますが、大河ドラマになったらきっと面白いです。
神武天皇のような人物、または一族が地方から駆け上がって大和を征服するまでには、戦国時代の信長や秀吉、家康のようなドラマがあったに違いありません。
ナガスネヒコには本当に苦労しましたね。お子さんに楽しくおもしろく語ってあげて下さい。