2月11日は「建国記念の日」。
この日に建国したのでしょうか。それに建国記念日だと思っていたのは間違いだったのかな?
日本は「建国記念の日」を制定するのに苦労しました。
ここでは「建国記念の日」について
・意味と制定の経緯
・建国記念日でない理由
についてご紹介します。
「建国記念の日」とは
意味、定義
日本の建国を祝う日ですが、国民の祝日に関する法律では次のように規定されています。
建国をしのび、国を愛する日
制定の経緯
もとは「紀元節」:神武天皇即位の日
建国の日は、戦前までは「紀元節」。
「紀元節」とは、神武天皇が即位した日を紀元の初めとしたものです。戦前まで祝日でした。
「古事記」や「日本書紀」によると、初代天皇の神武天皇が即位した日は、紀元前660年の1月1日とされていました。
明治時代に、これを新暦に換算して2月11日を「紀元節」としたのです。
戦後GHQが廃止
第二次世界大戦敗戦から3年、「紀元節」はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部:占領軍)により廃止されました。
その後、「紀元節」と同じ2月11日が「建国記念の日」として国民の休日とされるまでには、戦後21年の歳月がかかりました。
日本では、天皇制をめぐって、また社会の在り方をめぐって、人々の意見が分かれていました。
戦後21年かけて、名を変えて復活
1951年頃から、「紀元節」を復活させようとする動きが保守派の中に高まり、立法化の動きがありました。
でも当時は、天皇制に対して賛否両論。
紀元節を残したい自民党と、天皇制に関わるものを極力排除したい社会党とは激しく対立。
なかなか意見がまとまりませんでした。
「建国記念の日」を祝日とすることが決まったのは1966年。
戦後20年以上がたっていました。日にちはその後で政令で定めました。
*「建国記念の日」は、もともと神武天皇が即位したとされる日なので、天皇誕生日と同じく日にちが固定されています。2月の第○月曜とかにはなりません。
「建国記念日」ではない理由
「建国記念の日」と「建国記念日の違い」
「建国記念日」は文字通り「建国の記念日」です。
「建国記念の日」は「建国を記念する日」。微妙に違いますね。
「建国記念の日」になったわけ
「建国記念の日」と「の」がつくようになったのは、日本の建国の日がはっきりしないためでした。
たとえばアメリカなら、独立記宣言が交付された日を独立記念日とすることができます。
でも、日本ではいつが建国の日か、はっきりしません。
・・・最初の天皇、神武天皇は架空の存在です(神武天皇のように大和を統一した人はいたはずですが)。
大和朝廷という連合政権はいつからあったのか。「国家」としての形が整った聖徳太子以降を建国とすべきなのか。
それとも平和憲法を公布した日?
喧々諤々の議論になってしまいます。
そこで「建国記念の日」という名前に落ち着きました。
*クリスマスも、キリストの誕生日(わからない)ではなくて「キリストの誕生を祝う日」です。もとからあった冬至の慣習にあわせて、キリスト教を受け入れやすくしたものでした。
終わりに
日本に比べ、アメリカ・カナダ・中国は独立・建国がはっきりしています。
日本の始まりは、はっきりしなくて「とにかく昔からず~っとある」という感じですね。
それで、「建国記念日」をつくることはできず「建国記念の日」に決まりました。
これまで日本では、時の権力者は、自ら天皇になることはせず、天皇という存在を利用してきました。
「天皇という重りがあるので、日本という船はずっと転覆しないできた。中国は歴史の古い大国だが、何度も転覆してそのたびにまったく新しい国を築いてきた。」という日本観もあります。
憲法を頻繁に変える国も多いですが、日本では、新憲法が公布されて以後、まだ一度も変えられたことがありません。
GHQに廃止された「紀元節」を、「建国記念の日」としてよみがえらせたのも、日本らしいことに思われますね。