「恵方巻き」の意味と由来|恵方の決め方、2024は東北東、やや東寄り

節分といえば恵方巻き。「恵方」って何でしょう。

今年2024年は「東北東やや東」(東北東から少しだけ東寄り)ですが、だれがどうやって決めているのでしょう。

それに何故、巻き寿司(太巻き)を食べるの?

ここでは、節分の「恵方巻き」について意味と由来、歴史についてご紹介します。

1恵方巻きの意味

1)恵方巻とは

恵方巻きとは

節分の夜
2その年の恵方に向かって
3黙って、願い事をしながら丸かぶりすると
厄除けになる、願いが叶う

という太巻き寿司です。

 

2)「恵方」とは

恵方とは、運のよい方角です。

恵方とは
歳徳神(としとくじん)のいる方向。
この方向に向かってする事はすべて吉となる、とされます。

 

歳徳神(としとくじん)は、その年の福をつかさどる神さま。お正月の年神と同じ神さまです。

この歳徳神がいらっしゃる方向が、縁起のいい恵方。

江戸時代末まで、初詣では、氏神さまのいる神社や、恵方にある寺にお参り(恵方詣り)していました。

3)恵方の決め方

恵方を決める「陰陽道」

恵方を決めるのは陰陽道(おんみょうどう)です。

・・・陰陽道は、陰陽五行説(すべての事象は、陰陽と木・火・土・金・水の五つの要素の組み合わせで成り立つとする)をもととする思想。

5世紀から6世紀ごろ中国から伝わり、仏教や神道も影響して日本では独自に発展。

自然の中に、吉の兆し(きざし)瑞兆や災厄の兆しを読みとって、吉凶を占ったりしました。

朝廷には「陰陽寮」という機関が作られ、陰陽道に基づいて「占い」「天文」「暦」を担当していました。

陰陽師としては、安倍晴明が有名ですね。晴明は、陰陽寮の暦博士でした。

-恵方の決め方

恵方(歳徳神がいる方角)は、その年の十干によって、毎年変わります。

恵方(歳徳神がいる方角)
:その年の十干(じっかん)によって決まる

十干(じっかん)は「ひのえ うま」とかいう時の「ひのえ」の部分。*「うま」が十二支。

・・・たとえば2024年の十干は、(こう、きのえ)・・・「きのえ」の年には、歳徳神は「東北東やや東」にいらっしゃいます。

その年の十干なんて、調べないとわかりませんが、西暦を使った早わかりのルールがあります。

-恵方早見表

西暦の1の位
4、9の年:東北東やや東
0、5の年:西南西やや西
1、3、6、8の年:南南東やや南
2、7の年:北北西やや北

今年2024年は1の位が「4」なので、恵方は「東北東やや東」になります。

 

-恵方の方角、少し厳密に?

恵方は「二十四山(24方位)」という、360°を24に分けた方位で表します。

一つの方位につき15°の幅がありますから、あまり厳密にする必要はありません。

・・・2024年は、東を向いて、体をちょっと北側にずらす感じで大丈夫です。

2024恵方「東北東やや東」とは
:東北東からやや東寄り
東を向いて、体をちょっと北側にずらす感じ
:時計なら、2時半に短針がさすあたり
厳密にいえば…

北を0°として南を180°とする方位角なら、2024年の恵方は75°=東より15°北寄り(東を向いて北に15°もどったところ)になります。

 

2恵方巻きの由来

恵方巻きは、

・戦前からの、すしの販売促進
・1970年ころからの、過剰生産された海苔の消費
・1980年代からの、コンビニの冬の売り上げ対策

などを通して、大阪から日本に広がってきました。

大阪で始まったのは、関西は、節分と恵方の結びつきが強い地域だったから。

江戸時代終わりまで、関西では、元日の恵方詣りよりも「節分の恵方詣り」が盛んでした。

明治に入ってすたれていきましたが、大阪には恵方巻きが生まれる素地があったんですね。

恵方巻きの由来については、広告や関連業者による情報が多く、信頼性は今一つはっきりしません。

その時代の広告のターゲットに合わせて、変わってきたところもあるようです。

 

丸かぶり、歴史の流れ

節分に邪をはらう慣習

すし・のり業界の広告
花街の遊び)
(江戸時代からの幸運巻き寿司)

コンビニの仕掛け

1)節分に邪をはらう慣習

節分とは、季「節」を「分」けるという意味。

昔から季節の変わり目には、邪気(鬼)が生じると考えられて、豆まきなどの邪をはらう風習がありました。

節分に寿司を食べるという風習も、1960年代まで東京などで残っていたという記録があります。

節分に寿司を食べる風習があった地域

東京(ちらし寿司)
静岡(五目ずし・にぎりずし)
*伊豆(岩のりの巻き寿司)
徳島県・愛媛県(すし)
松本美鈴「現代家庭における年中行事と食べ物」p11青山学院女子短期大学総合文化研究所年報

でも、恵方巻きとの関連は見い出せなかったとのことです。

 

2)すし・のり業界の広告

恵方巻きを売り出したのは、すし、のりなどの関連業界のみなさん。

恵方巻きの記録で一番古いのは、1932年の大阪の寿司屋さんの広告です。

 

(1)「花街の遊び」由来とするもの

1932年、大阪鮓商組合の「巻壽司と福の神 節分の日に丸かぶり」という宣伝チラシには、

この流行は古くから花柳界にもて囃されてゐました

これは節分の日に限るものでその年の惠方に向いて無言で壹本の巻壽司を丸かぶりすれば其年は幸運に惠まれると云ふ事であります。

wiki

と書かれています。

花柳界(かりゅうかい)とは花街(かがい、はなまち)のこと。

京都の祇園が有名ですね。芸妓(芸者さん)や舞妓さんがいるところです。

当時は、世界恐慌から昭和恐慌となって、まだ深刻な不況が続いていた時期でした。*この年に「米よこせ運動」。その後高橋財政で景気は急回復。

この広告は、お金持ちの男性をターゲットにしていたのかもしれませんね。また当時は、女性の反発も少なかったのかもしれません。

花街でもてはやされていた、という丸かぶり。意識するとちょっと恥ずかしいです。

戦前まで花街には、遊女も芸者(芸妓)もいました。

・・・ふつうの女の子が、家が貧しいために売られて遊女や芸妓になることが多かったんです。

丸かぶりは、大人の色っぽい遊びだったんですね。

舞妓

ほかにも、「船場の旦那衆が節分の日に、遊女に巻き寿司を丸かぶりさせて、お大尽遊びをしていた」という、大阪の海苔問屋組合の方からの聞き取りもありました。

ただ、船場は問屋街で、花街があったという歴史はありません。

 

(2)江戸時代からの「幸運」巻き寿司由来とするもの

大阪府酢商環境衛生同業組合のチラシには、

幕末から明治時代初頭に、大阪・船場で商売繁盛無病息災家内円満を願ったのが始まりでーあじかん「恵方巻きの歴史をたどる」

と書かれていました。

 

1973年の大阪海苔協同組合のチラシでは、

恵方に向って無言で家族そろって巻き寿司を丸かぶり…

 荒井三津子・清水千晶” 食卓の縁起に関する研究 I -恵方巻の受容とその背景-”北海道文教大学研究紀要 第32号

と「幸運恵方巻き」を売り出しています。

 

ここには、花街の由来はでてこないようです。*全文の記載がないので正確にはわかりません。

戦後、売春防止法などで遊郭も消滅。そして1973年といえば、高度経済成長の時代。

この時代に花街の由来を出したら、女性の反発を買った可能性があります。広告のタ-ゲットも、豊かになった家族、一般国民になったようです。

(3)その他の由来

ほかにも、関連業界や小売業界から

戦国時代の武将が、節分に丸かぶりして戦に勝った

・江戸時代中期に、節分の頃に出回る新しい香の物(漬物)が入った巻き寿司を丸かぶりして縁起をかついだ

といった由来が、出されています。

 

3)コンビニの仕掛け

1960年代までは、節分の巻き寿司は、大阪でもごく一部にしか知られていませんでした。

節分丸かぶりが大阪に定着したのは、大阪の鮓商組合や海苔問屋協同組合の努力によるものです。

そして全国に広がったのは、ファミリーマートやセブンイレブンの販促によるものでした。

1983年、日本で初めて恵方巻きを売り出したコンビニは、大阪、兵庫のファミリーマート

コンビニは、1月下旬から2月上旬には売上が落ちるので、その対策として恵方巻き販売を始めたそうです。

ターゲットはコンビニを利用する(可能性のある)一般男女。「恵方に向かって丸かぶりすると縁起がいい」として店頭に並びました。

以後、まず西日本に広がり、それから全国に広がっています。

 

まとめ

恵方巻きは、①「節分」という慣習に、②恵方をからめて「すし業界」の広告が乗っかり、③「コンビニ」の仕掛けによって、大阪から全国に広がりました。

由来の信頼性ははっきりしませんが、節分の縁起物。

スーパーなどでは、恵方巻きの日にはアルバイトを動員して恵方巻きをたくさん作ります。それでふつうの太巻きは、日頃より若干味が落ちたりします…。*フードロスも問題なので、予約をすすめている店も多いですね。

でも、凝ったおいしいものがいろいろありますから、今年も楽しみですね。

おいしい恵方巻きで、運気アップしますように!

 

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