「らんまん」では、万太郎と寿恵子がいっしょに「八犬伝」を読みふけります。
万太郎は理系ですが、万葉集で徳永教授とちょっとだけ近しくなりかけたり…と、文学にも親しみがあるようです。
寿恵子の好きなことも万太郎に知ってもらえて、寿恵子、おめでとう!
ここでは、
〇馬琴と万太郎、牧野富太郎の、似たところとちがうところ
〇寿恵子の背景とこれから
をご紹介します。
1馬琴先生と万太郎
1)馬琴先生はどんな人?
曲亭馬琴(滝沢馬琴)は、明治維新の100年ほど前、江戸後期1776年に生まれました。
旗本の用人の息子で武士ですが、俳句、医術、儒学などを学んで、あちこちの旗本の家に渡り奉公をしました。
勤め先を転々としたんですね。
24歳になると作家の山東京伝に出入りをゆるされ、作者への道を進みはじめます。
30歳ころから、読本を出し「椿説弓張月」「南総里見八犬伝」などの大ヒット作を書きつづけます。
1848年、82歳で亡くなりました。
2)馬琴先生と万太郎
馬琴先生と万太郎、富太郎
・一心にすすむ、忍耐強い
・お金を惜しまない
・猫を飼っていた
✔「八犬伝」方式?
・ほかは堅実な馬琴
・万太郎は愛妻家
〇万太郎と似ているところ
(1)一心にすすむ、忍耐強い
馬琴は、作家としての道が定まるまで、10年ほど迷いのときをすごしますが、作家と心を決めてからは、邁進しています。
本が売れるようになるまで、さらに6年ほどかかりますが、出版社の手代など下積みをしながら努力をつづけます。
「八犬伝」を28年間かけて書きつづける忍耐力もありました。さいごのころは、目をわるくして明暗しかわからなくなり、嫁に口述筆記させて物語を完成させました。
らんまんの万太郎も、植物に関しては小さいときから一心にすすみます。植物画など忍耐力がなければ描けませんよね。
世界に通用する正確な植物画を、日本初の植物学会誌にのせるため、印刷所に住み込んでいじめられながらも技法を学んでいます。
この一心さと努力は、馬琴と万太郎に共通するところ。寿恵子が尊敬しているところですね。
(2)お金を惜しまない
馬琴は、執筆に必要な本を買い集めたり、写本にしたりしていました。どちらもお金がかかります。
本の売り上げがあっても、たくわえがなく支援者に自分の蔵書を買ってもらったりしていました。
富太郎(万太郎も)はいうまでもなく、ぼっちゃんです。
それに、自分の生涯の学問の指針として定めた15か条「赭鞭一撻(しゃべんいったつ)」の4つ目は、
「植学ヲ以テ鳴ラント欲スルモノハ財ヲ吝ム者ノ能ク為ス所ニアラザルナリ」
意訳
…たくさんの本を読むことが必要。
植物学者として名を成したければ、金を惜しんではならない。
*万太郎も、こんな決心をしていたのか⁉
馬琴も富太郎も、道を究めていく求道者。必要なお金は惜しまなかったんですね。
偉大な芸術は、王族や大商人などのパトロンがいた時代に生まれた、お金があったからできたのだ、といわれます。
万太郎にも、研究の応援をしてくれる人たちが現れますように。
(3)ねこを飼っていた
馬琴一家は、「馬琴一家の江戸暮らし中公新書」という馬琴の日記によると、カナリアやジュウシマツ、あるときは猫を飼っていました。
迷い込んできた猫が子猫を生み、知り合いに分けてやった後に残った子猫を「仁助」と名づけて、家族みんなでかわいがっていたようです。
富太郎一家も猫を飼っていて、歴代「ちーこ」という名前だったそうです。
らんまんでは、根津の「くさながや」でも、よく猫の鳴き声がきこえますね。
万太郎たちも猫を飼うのでしょうか。
✔家計は「八犬伝方式」で?
「八犬伝」などシリーズ物は、毎年数冊1セットで発売されました。
馬琴は、その収入を基本に生活し、翌年またつづきを発行して収入を得るという暮らしだったようです。
ただ当時、本の売上だけで生活できたのは、馬琴のような超売れっ子作家だけでした。
「らんまん」の万太郎の目標は、日本のすべての植物を明らかにして、植物図鑑を完成させること。馬琴と同じ、壮大な計画です。
万太郎は、寿恵子と結婚したら、馬琴のように植物図鑑を毎年1冊ずつ発行して、その売上を、つぎの年までの研究と生活費にあてようと考えるようです。
「八犬伝方式」と呼ぶらしい^^
どうか、うまくいきますように。
▲万太郎との違い
(1)「本」以外には、堅実
馬琴は、本を買いあさる以外では、堅実な人でした。
一家の財布をにぎっていて、生涯書き続けた日記には、
「炭問屋〇〇から、炭一駄八俵を買った。代金二両と銀四匁二分八厘であった。…川越の田舎炭より値段が高かった。」
『馬琴一家の江戸暮らし』p129中公新書
と細かく書かれています。
あまり、パートナーにはしたくないような細かさですね^^
富太郎は、まったく堅実とはいえなくて、大学にも人力車で通ったりしていました。こちらは「学問のため」という申し訳はたちませんね。
万太郎は歩いて通っています。ちょっとだけ感心^^
寿恵子と結婚してからは、馬琴のように
(2)万太郎は愛妻家。馬琴は?
らんまんの万太郎は、寿恵子が初恋の相手。恋愛結婚で、浮気もしない見込みです。
富太郎は、高知でいとこの猶(なお)さんと結婚していますが、子どもはいません。形式上の妻という人もいますが…どうなのでしょう。
でも、寿恵子と出会ってから、ほかの女性と浮名を流したことはありません。
お金の心配はかけ通しでしたが、よき父で家庭もとても明るかったそうです。
馬琴が、浮気をしていたかどうかは不明です。
ただ、あるとき、奥さんがお嫁さんを嫌って追い出そうとするのですが、それに反対した馬琴を、嫁を好きなのではと疑ったりしたこともあったそうです。
家庭生活としては、ちょと悲壮かも。
2寿恵子の生き方
1)寿恵子の背景:武士の娘
✔戸籍上は
寿恵子のお父さんは、設定では彦根藩の上級武士。お母さんのまつは柳橋の売れっ子芸者から妾となっています。
明治はじめ、寿恵子が生まれたころには、妾の子どもは父親の戸籍に入りました。
寿恵子は、れっきとした武士の娘なんですね。
ただ、1871年には妾の子どもは、戸籍に「妾腹〇〇」と記載されるようになりました。
らんまんの寿恵子は、1887年ころに17歳。1870年ころの出生かと思われますが、この時期にかかったのかどうか…かかったら、かわいそうです。
妾の子どもの戸籍上での扱いは、その後も変転していきます。
✔社会的には
妾を囲える男性は、それだけの財力があり地位のある男性でした。妾には家を用意してやり、子どもの養育もふくめてすべて面倒をみるからです。
男の甲斐性(働き・お金があって頼りになる)ともされていました。
ただ、妾は本家(本妻やその子たち)からは下に見られますし、社会的にも低くみられました。
本妻のように、必要なら家を代表して采配をふるうということもできません。
まつさんが、娘にはふつうの生活をさせてやりたいと思うは当然の親心ですね。
…万太郎がふつうかといえば??^^ですが。
2)寿恵子の生き方
一心に植物研究をしながら、一心に自分を愛してくれるけど、生涯の決意として学問にお金を使う万太郎。
馬琴先生のように一生をかける夢に向かう万太郎ですが。
寿恵子は、いったいどうしたらいいのか…。
脚本の長田育江さんは、NHKドラマガイドの中で、
「万太郎の妻となる寿恵子は、『好き』を貫く万太郎と出会ったことで、自分の才能をどこまでも開花させていく女性です。」
といっています。
現実をみる力、「日常を冒険だと捉えて楽しみながら挑んでいこうとする勇敢さ。」とも。
富太郎の奥さん、寿衛さんは、子どもが大きくなってから「待合」を経営してお金を稼ぎます。*芸者さんがお客を接待する飲食店。京都のお茶屋のようなところ。
経営はうまくいったそうなんですよ。
借金取りを説得するのも上手だったとか。
武士の娘であって、芸者の母やおばを持ち、商売をやっている家で育った、「八犬伝」が好きで馬琴先生を尊敬する、らんまんの寿恵子。
これからの生き方、どんな冒険になるのか楽しみですね。