らんまん「植物学雑誌」目次から | 万太郎や波多野、藤丸が書いたのは?

らんまんで、万太郎が仲間と作った植物学会の雑誌。

万太郎は、この権威ある学会誌に論文をのせることで、日本の植物学研究者の一人として認められることになります。

これでやっと、寿恵子を迎えに行ける。高藤氏に対抗できますね。

植物学雑誌第1号の目録(目次)には、万太郎の「ひるむしろ」や、大窪講師の巻頭言のようなものもあります。

波多野くんや藤丸くんは、何を研究したのでしょう?モデルとなったのはどんな人たちなんでしょうか。

 

植物学雑誌創刊号の内容

日本植物学会のサイトからのリンクで、第1号の表紙をみることができます。

日本植物学会「植物学雑誌電子版〔創刊号表紙画像を各代表示〕」

発行日
:明治20年(1987年)2月15日
発行者
:東京植物学会 編集所*昔の漢字で編輯所

目録(今の目次にあたるもの)
〇論説 〇雑録 〇付録 箱根山植物

万太郎たちが登場するのは、この「論説」のところです。

 

植物学の雑誌と
「らんまん」東大のみなさん


万太郎といっしょに植物学の雑誌をつくったのは、田中延次郎さんと染谷徳五郎さん。

この二人が、波多野・藤丸のモデルになった人のようです。

論文のテーマは、こんなものでした。

論説部分の目次

〇論説
「本会略史」
大久保三郎

「日本産ひるむしろ属」
牧野富太郎

「苔蘚発生実けん記」
:白井光太郎

「白花のみそがわそうと猫の関係」:澤田駒次郎

「すっぽんたけの生長」
田中延次郎

「まめづたらん」
大久保三郎

「花と蝶との関係」
染谷徳五郎

「採植物於駒岳記」
:三好 学

*最後の三好学さんは、牧野富太郎の生涯の親友の一人です。

 

-1 大窪のモデルか?
「本会略史」 大久保三郎

「本会略史」は、始まったばかりの植物学会の歴史。最初の巻頭のことばに当たるものです。

西洋の学会のように、会員同士が知識を交換して植物学の進歩をはかっていく場をつくる、といったことが書かれています。 日本の植物学百年の歩み-日本植物学会百年史-日本植物学会1982 p27

らんまんでは、大窪講師が書くんですね。

 

ドラマでは、大窪さんは講師。上には助教授・教授がいて、下には指導すべき学生たちがいて、苦労の多い立場です。

徳永助教授が「ここは東京大学なんだぞぉー」と怒るうしろで、「徳永さんは何一つまちがっておりません」と一緒に怒ったり…。

田邊教授からは、学生の指導がなっとらん「君の指導が悪いから学生たちがあの程度しか書けないのではないのか」と叱られたり…。

いつもイライラしてる大窪さん。

万太郎から植物学雑誌の巻頭のことばを依頼されて、すっかりごきげんになり、張り切っていましたね。

モデルの大久保三郎さんは、この雑誌の後のほうで「まめづたらん」についての論文も書いています。

↓まめづたらん

Waterbirdbc, CC BY-SA 4.0, via Wikimedia Commons

忙しい中、自分の研究もしっかりやっていたんですね。がんばれ!

*大久保さんは、実際にはこのころには助教授でした。

大久保さん幕臣の息子

大久保三郎のお父さんは幕臣で、江戸幕府で京都町奉行、大目付、外国奉行などを歴任、明治政府では東京府知事もつとめました。

大久保さん本人は、ミシガン大学に留学しています。

武士の出身で、父親が幕府・政府の要職についていたら、らんまんの大窪講師が万太郎を「東大」に受け入れるなんて絶対反対だったのも納得ですね。

 

-2 万太郎のモデル
「日本産ひるむしろ属」 牧野富太郎

Frank Vincentz, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

ひるむしろは、日本全国の池や用水路でみられる植物。以前は田んぼにもよく生えていました。

ちょっと見には、草の葉が水に落ちて浮いているだけのように思えます。

ひるむしろは、日本には18種類ほどあって、少しずつ形などがちがうようです。

万太郎は、地方ごとの形や構造のちがいを調べ、さらに地方ごとのさまざまな呼び名と種類を日本共通のものに整理していこうと、気持ちを新たにしていました。

万太郎にとって、初めての論文発表となる植物学会誌。東京植物学会(現在の「日本植物学会」)の機関誌です。*当時は「植物学雑誌」、現在は「Journal of Plant Research」。

これが発行できれば、胸をはって寿恵子を迎えに行けます。

高藤氏はすっかりその気だ、急がねば。

 

-3「苔蘚発生実けん記」 白井光太郎


苔蘚は蘚苔類(せんたいるい)で、コケ植物のことです。

コケの発生をめぐって、何か実験をされたのでしょうね。

らんまんでは、先輩のお一人でしょうか。

 

-4「白花の みそがわそう と猫の関係」 澤田駒次郎

ネコ草花の関係が、真剣に研究されているなんて!

この澤田さんという方も、らんまんで万太郎たちを「くさいんだよ、芝居が」と追いつめた先輩のお一人でしょうか。猫好きさんにはうれしい研究テーマです。

「みそがわそう」は、イヌハッカ属。猫が好きなキャットニップ、キャットミントなどの西洋またたびの仲間です。

…猫は、うす紫のみそがわそうは好きなようです。白花のみそがわそうに、猫は寄ってきたのか?

 

-5 藤丸のモデルか?
「すっぽんたけの生長」田中延次郎

きのこの研究がしたい藤丸くん。この「すっぽんたけ」の研究をしたのが、田中延次郎さんです。*旧姓:市川

田中さんの生家も、藤丸と同じ酒問屋。

田中延次郎:酒問屋の息子

藤丸くんのモデルではないでしょうか。

田中さんもうさぎが好きだったのかな…?

この論文の「すっぽんたけ」は、初めはまるい卵のような形をしていて、そこから殻を割るように出てきて、ぐんぐん伸びます。

竹林などに生えて、食べることができますが、カサの部分がハエなどを引き寄せるために、とても臭くなっています。

藤丸くんは、きのこだけでなく、カビと細菌の違いとか菌類全般をやりたいといっていました。

モデルの田中さんは、後に菌類学者になったんですよ。

でも最後は、悲しい終わり方をされています。知りたくなかった…。Wikipedia 

ドラマの藤丸くんは、幸せに生きてくださいね!

 

-6 波多野のモデルか?
「花と蝶との関係」 染谷徳五郎
⇒後半では、池野成一郎

「花と蝶との関係」を書いた染谷徳五郎さんは、波多野くんのモデルのようです。

牧野富太郎さんの自伝には、

市川(田中)、染谷、私の三人で…植物の雑誌を刊行しようということになった。

「草木とともに 牧野富太郎自伝」(角川ソフィア文庫)

とあります。

後に、大久保助教授とともに植物学用語辞書を作っています。

さて、「花と蝶との関係」って、どんな内容だったのでしょう。

波多野くんの関心とは、少し違っているような気もしますが。

波多野くんは、らんまんでは、変わり朝顔がかけ合わせでできることから、色などを決める仕組み(遺伝子のしくみ?)を研究したいといっていました。

第16週の「コオロギラン」になって、受粉のしくみを見たい、目に見えないものをみたいと言っています。

論文の「花と蝶との関係」って、草花の受粉についてだったのですね。

「らんまん」の後半、波多野くんは、東大の助手になりました。モデルは池野成一郎さんに代わっていますね。

画家の野宮さん(モデルは平瀬作五郎)といっしょに、イチョウやソテツの」精子の研究をします。

万太郎が知らない世界。波多野くん、がんばれ!

*メンデルの遺伝の法則は、明治維新の直前1866年ころに発見されますが、世に広まったのは1900年。植物学の雑誌第1号が発行されてから13年後です。

波多野くんなら大喜びで、夢中になって研究を重ねたでしょうね。もう結婚してたかなぁ。

染谷さん:生家不明

波多野くんのモデル、染谷さんは本籍は東京。群馬師範学校を卒業し、後に東大に入学しています。でも、生まれや育ちについての記録はみつかっていないようです。

東大卒業後は東京高等女学校などで教えました。

下仁田町自然史館研究報告第7号(2022年3月)「下仁田町で大切にしたい植物」 里見哲夫  を参考にさせていただきました。

 

終わりに

日本で初めての植物学雑誌の創刊号が、デジタル化されているなんてすごいです。

こうして表紙だけでもみることができるのは、うれしいですね。国立国会図書館ではwebで利用者登録して遠隔複写サービスで内容もみることができます。

あの大窪講師や波多野くん、藤丸くんがこんなことを一生懸命調べてたんだと思うと、いっそう親しみを感じます。

科学の発達は「好奇心」から。

これからいろいろあっても、万太郎やみんなの研究が、すすんでいきますように。

 

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