厄年なんて迷信ですよね。
根拠があるんでしょうか。本当に、なにかよくないことが起こるの?
・・・厄年には、年齢によっては病気になりやすいなど、それなりの裏付けもあるようです。
ここでは、
・厄年の意味
・厄年の由来、年齢の由来
・厄年の年齢と根拠・・・がん罹患率、老化の三段階など
について、ご紹介します。
厄年とは
1「厄」とは
広辞苑によると、「厄」とは
②厄年のこと
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2厄年の意味
厄年には、意味が二つあります。
厄年とは
・神さまにお仕えする「役年」
・災難が多く慎むべき「厄年」
1)「役年」:地域で役割を持ち、神さまにお仕えする
厄年は、もともとは「還暦(61才)」や「古希(70才)」と同じ、晴れの年でした。
厄年を迎えた人たちは、地域で地位や役割をもって、神社のお祭りや運営、おみこし担ぎなどに関わりました。
神さまに仕えるために、厄年の人たちは、「物忌み(ものいみ)」をして、心身を清らかに保ちました。
*物忌み:体を清めて、静かに過ごし、肉食をしない、など。
「清らかにする」という点では、厄を払う、厄除けの風習と重なりますね。
2)「厄年」は、災難の年
こちらが、一般的な使い方です。
厄年の年齢は、
ちょうど肉体的な変調をきたしやすく、家庭的にも対社会的にも転機を迎えやすい時期で、
古来、災難が多く慎むべき年とされています。
「災難が多く 慎むべき年」の慎む(つつしむ)って、どうしたらいいんでしょう?
「慎む」とは、ことばや行動を控えめにして、失敗したり失礼のないようにすることです。
・・・軽はずみな行動をしない、余計なことを言わないなど。
3厄年の種類:前厄・後厄、大厄?
厄年には、前厄、後厄、本厄、大厄など、いろいろな呼び方があります。使い方を整理してみましょう。
1)前厄・後厄と「厄年」
厄年の前後には、前厄と後厄がそれぞれ1年ずつおかれています。
前厄→「厄年」→後厄
「厄年」が一番大変で、前と後は軽い?
「前厄」は厄の始まりで、「厄年」が本当に厄のとき、「後厄」は厄の終わりで、「前厄」と「後厄」は軽いんだな、と思ってしまいます。
でも、厄の度合いに違いがある、というわけではないんです。…神社本庁には、厄年の年齢と定義はありますが、前厄・後厄の定義はありません。
このあたりの年頃で、「役」や「厄」が起きやすいよ、ということなんですね。
2)大厄・本厄とは
「大厄」と「本厄」は、呼び方が違うだけで、同じものです。
特に、男性42才、女性33才が、厄年を意識すべき年として大厄(本厄)とされています。
:前厄→大厄(または本厄)→後厄
:前厄→厄年→後厄
*その他のときも、厄年を「本厄」と呼びたくなってしまいます..。
厄年の由来
1厄年の由来:陰陽道
1)自然と運勢を結びつける
「陰陽道」
厄年は、陰陽道(おんみょうどう)由来です。
陰陽道は、奈良時代よりも前、古墳時代(5~6世紀)に、中国から伝来した「陰陽五行説」に、神道や仏教、密教なども取り入れて、日本で独自に発展しました。
「陰陽五行説」は、陰と陽、木・火・土・金・水の気によって、世界を説明しようとする考え方。
宗教ではなく、哲学(科学)のようなものでした。・・・「物理学のたまご」ともいわれます。
陰陽道では、月や星の動き、時の流れなど、自然の変化から、吉兆・凶兆をよみとって、人間界の吉凶を占いました。
朝廷は「陰陽寮」を公式な機関として、暦の作成、占いやまじないなどを担当させ、政治の指針としていました。
「九星(六白金星など)」による運勢や「風水」、「漢方」や「気功」、お正月の「門松」や「節分」、「十二支」と性格、「厄年」など、現代にも残るさまざまな風習は、陰陽道が影響したものです。
2)運勢と、時・方位
陰陽道では、人の運は、時間や方位と、密接に関係すると考えます。
年や月・日など、時間と関係するのが、「十二支と厄年」や「九星の天中殺」。方位に関係するのが、「方違え」や「方除け」などです。
2「厄年」の年齢の由来
厄年の年齢が決まっていった経緯については、はっきりしません。
1)はじめ、奈良・平安時代には、古代中国の「十二支」についての考え方が、貴族たちに受け入れられ(陰陽道)、「厄年」には祈祷などが行われました。
2)江戸時代に、農民に広がる中で、農村の「役年」と融合して、現在の年齢におさまってきたようです。
1)「十二支」と凶運
古代中国の陰陽五行説では、干支(十干・十二支)が人の運勢に大きく関わると考えました。
・・・年の干支と生まれ年の十二支の相性からみれば誰もが、
自分の生まれ年と同じ十二支の年に凶運に遭いやすいことになる。
自分の生まれ年と同じ十二支の年は、12年毎にやってきます。
子年生まれなら、最初の子年には、数え年で13才。次が25才、37才、49才、61才とつづきます。
平安時代の『色葉字類抄』という辞書には、厄は「13才、25才、37才、49才、61才、73才…」と記されています。
平安時代、貴族たちは、生まれ年と同じ十二支の年を「厄年」として、祈祷や祈願を行っていました。
2)農家の「役年」と「厄年」
「厄年」が、ふつうの人々(農民)に広まったのは、江戸時代。
農村では、すでに男性は42才、女性は37才で、神社の行事など、地域の役割を担う慣習が生まれていました。
それら「役年」の年齢と、農家の暮らしの中で、体を壊しやすい、嫁入り、出産など、用心が必要な年と合わせて、現代の「厄年」の年齢が定まっていきました。
十二支だけで決まった厄年よりも、より実体験に即した厄年になったのですね。
厄年の「年齢」の根拠
「肉体的な変調をきたしやすく、家庭的にも、対社会的にも、転機を迎えやすい時期」とされる厄年。
でも、「十二支」を基本にしているって、非科学的。
男性の42才は「死に」、女性の33才は「さんざん」と語呂合わせみたいだし…。
とはいえ、厄年は、1200年以上の間、人々に受け入れられて来ました。
ただの迷信、ということもできますが、人々が納得できて、受け入れられやすい根拠があるようです。
男性
前厄 | 厄年 | 後厄 |
24才 | 25才 | 26才 |
41才 | 42才 (大厄・本厄) | 43才 |
60才 | 61才 | 62才 |
女性
前厄 | 厄年 | 後厄 |
18才 | 19才 | 20才 |
32才 | 33才 (大厄・本厄) | 34才 |
36才 | 37才 | 38才 |
60才 | 61才* | 62才 |
*女性の61才は、神社庁の定義にはありません。多くの神社や寺で、独自にもうけられています。
男性25才、女性19才
:「役」の年
昔:結婚、出産の「役」と「厄」
今:大人としての「役」
現代では、男性25才、女性19才に、特に大きな転換はないですよね。*女子は受験、就職の時期。
昔は、結婚して一家を構え、一人前の大人とみなされる年頃でした。
江戸時代は、初婚年齢が、男性25~28才、女性18~24才*だったとのことです。*中央日本の農村。
男性25才の厄年は、結婚して家庭でも地域でも責任を負うようになる年頃。
女性19才の厄年は、さらに出産もして、亡くなる危険もありました。*難産での死亡、産後の死亡は、明治時代1899年でも、10万人中409.8人。2016年の3.4人の120倍でした。
現代の初婚年齢は、2016年で、男性31.1才、女性29.4才。
でも、結婚して家庭を持たなくても、女性は19才頃には仕事をしたり大学生だったりで、じゅうぶん大人の役割を果たし始めています。
男の25歳は、立派な一人前の大人です。
現代では、19才、25才は大人として社会で役割を持つ「役」年。責任もあるので、災難もありうる「厄」年にも当てはまりそうです。
女性33才(大厄)、37才
:「役」と「厄」
1)出産、母としての役割
30代で、初めて、または二人目以降の子どもを産む女性は多いです。
平成17年ころから29年まで、女性が出産する年齢は、30~34才が一番多く、続いて25~29才、35~39才*となっています。
出産し、母となる、大切な「役」を受け持つ時期なんですね。
*厚生労働省 平成29年(2017)人口動態統計(確定数)の概況ー母の年齢(5歳階級)・出生順位別にみた出生数
2)仕事、責任ある役割
江戸時代、農家の女性は37才になる頃、地域の役割がまわってきました。
現代では、30代・40代は、仕事やパートで、役職がさらに上がったり、チームのリーダー的な立場になる時期でもあります。
お母さんなら、PTAの役員をやらされたり。
仕事のレベルが上がると、それまでとは違うスキルや能力が必要になりますね。人を動かす仕事は、ストレスも多くて、うまくいかないこともありますし…。
3)病気
:がん罹患率と30代
日本人の死亡原因第1位のがん。早期がんの5年生存率は90%近くですが、やはり、避けたい病気ですね。
国立がん研究センターがん情報サービスの「最新がん統計」では、新しくがんになる人の割合(がん罹患率)は、30代から50代前半までは、女性が男性より多くなっています。
*20~39才で子宮頸がん、乳がんが急増します。国立がん研究センターがん情報サービス「小児・AYA世代のがん罹患」
・男女とも50歳代くらいから増加し、高齢になるほど高い。
・30歳代後半から40歳代で女性が男性よりやや高く、60歳代以降は男性が女性より顕著に高い。
統計的に有意というわけではないのですが、罹患率の数値だけをみると、30代では、女性が男性の2倍以上です。
30代に厄年があるのは、女性だけ(33才、37才)ですから、現代の実態に合っているかもしれません。
・・・人口10万人に対して、30~34才で91.4人、35~39才で167.2人ほどです。千人に0.9人~1.6人ですから、とても少ないです。安心してくださいね。
・出典:国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」 地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2015年)参照
20代では子宮頸がんが多いのですが、30代でいちばん多いのは乳がん。
でも、乳がんの5年生存率は、92.7%。子宮頸がんは75.6%です。ー国立がん研究センター
できるだけ検診を受けて、早期に対処しましょう。
厄払いより効果あり^^
4)老化の第1段階
:34才
スタンフォード大学を中心とする研究グループによると、
「人間の老化は 3つの年齢を境にして加速していく」
ー日経新聞2019.12/29
とのこと。
老化に伴って、たんぱく質の割合が大きく変化するのが、平均して34才、60才、78才だったそうです。
60才:男女の後厄(数え61才)
78才:男女の後厄 の翌年(数え79才)
還暦60才や喜寿77才も、多くの寺社で厄年とされています。
厄年の次の年だったりしますが、この年頃が、老化の階段を一段上がる年齢なんですね…。
男性42才(大厄)
:仕事「役」の変化
42才は「死に」に通じるとして、縁起が良くないとされてきました。
また、江戸時代には、農家では、男性は42才になる頃に、地域の役割がまわってきました。
現代でも、男性は、会社で家庭で責任と役割を負っていますが、ストレスも多いですね。
40代に入るころには、社内での自分の位置が将来まで見通せて、つまらない気持ちになることもあるかもしれません。
パーソナル総合研究所によると、42.5才くらいで「出世したい」と思う人より、「出世したいと思わない」人が多くなるそうです。*満年齢
人生100年時代。新しいキャリアや生き方を考えさせられる時期なんですね。
家庭を持っていたら、お金がどんどんかかっていく時期でもあります。
男性40代の「役」年のころは、いいこと、幸せなこともたくさんありますが、きついなぁと思うことも多いですね。
健康面では、42才はまだまだ健康です。
が、そろそろ中年で「体力が衰えてきた」と感じ始めるころ。メタボなどで、健診に引っかかる人もでてきます。
男性は、40代前半で、がんが急速に増加するということはありません。
男性(女性)61才
:老化の第2段階
:病気のリスク
男女ともに、60台に入ると、がんや脳卒中、心筋梗塞、糖尿病などのリスクが高まります。
スタンフォード大学中心の研究でも、60才は、男女とも老化の新たな段階に入る年頃だということでした。*第1段階34才、第3段階78才
男性のがん罹患率は、50代後半から、女性を上回り、60代前半で、女性の1.5倍強。
・・・60代後半では、女性のおよそ2倍近くになってしまいます。
61才の厄年は、神社本庁の定義では男性だけのものです。
やはり、男性は、60台になる頃から特に健康に気をつけましょう。人生100年時代、検査も受けて早期対処できたらいいですね。
終わりに:やっぱり「厄年」?
筆者は、厄年を信じているわけではありません。
でも、厄年ぴったりの経験をしました。
数え年で61才(厄年)の終わりころに、がんと診断され、62才になって手術をしました。
ふりかえれば、数え年60才の後半を過ぎたころから兆候があったので、ちょうど前厄から厄年、後厄にかけて、病気になったことになります。
さいわい早期だったので手術だけで終わりましたが、60代に入ると病気になる確率が急に高まるということを実感しました。
後になってから、厄除けで有名なお寺に参拝して、かわいいお守りを買いました^^
一緒に入院していたみなさんは、40~50代の方が多かったです。
明るく愛情に恵まれた方たちで、病気はどんな人にも襲ってくるものだと感じさせられました。
厄年は迷信ですが、まったく根拠のない風習ともいえません。
人生の中で、いろいろな転換点になる時期なので、自分の価値観・優先順位を確認したり、健康に心を寄せるいい機会にもなりますね。
気になることがあったり、ちょっと不安なら、「厄除け」・「厄払い」を受けたり、気に入った寺や神社に参拝なさってみてください。